郷土資料

年譜
大正11年(1922)
- 11月25日、北海道帯広市に野江豊作、きくゑの長女として生まれる。
昭和 4年(1929)
- 帯広尋常小学校(現帯広小学校)に入学。
昭和10年(1935)
- 北海道庁立帯広高等女学校(現北海道帯広三条高等学校)に入学。同校同窓会誌に詩や作文を発表。演劇活動にも意欲的に参加、ヒロインを演じた。
昭和14年(1939)
- 3月、帯広高等女学校を卒業。
- 4月、東京家政学院に入学。この頃慶応大生、樋口徹也を知る。
昭和16年(1941)
- 東京家政学院を卒業。帰郷の途次、北海道旭川で見合い。しばし交際の後ふみ子の方から破談にする。
昭和17年(1942)
- 4月、札幌鉄道局施設部勤務の中城博と札幌にて結婚。
- 10月、夫の転勤に伴い室蘭に転居。
昭和18年(1943)
- 5月8日、長男孝を出産。
昭和19年(1944)
- 2月、夫の転勤に伴い函館に転居。
- 8月25日、次男徹を出産するが、11月8日病死する。
昭和21年(1946)
- 3月11日、長女雪子を出産。
- 12月、夫の転勤に伴い札幌に転居。
昭和22年(1947)
- 4月、『新墾』に入社。翌年二月号から作品を発表。
- 9月30日、三男潔を出産。
昭和23年(1948)
- 5月、『辛夷短歌会』の会員になる。
- 6月、夫の転勤に伴い高松に転居。
昭和24年(1949)
- 4月、子供らを連れて帯広の実家へ帰る。
- 5月、『新墾』帯広支社短歌会(のちの辛夷社)に出席。この時、大森卓を知る。
- 8月、夫の博も帯広に帰る。
昭和25年(1950)
- 5月、夫の女性問題などにより離婚を前提に別居。
昭和26年(1951)
- 1月『新墾』の特別社友になる。9月27日大森卓死去。
- 10月、夫の博と協議離婚。自活を目的に単身上京し就職を志すが、11月、母と帯広に戻る。この頃左乳房の異常を自覚する。
- 12月のクリスマスの頃、ダンス助教師、木野村英之介を知る。
昭和27年(1952)
- 2月、帯広放送作家グループに入会。乳がん発病。
- 4月、新津病院に入院、左乳房の手術を受ける。
昭和28年(1953)
- 4月、『潮音』同人として入社。
- 10月、乳がん再発。11月に新津病院で右乳房の手術を受ける。
- 12月、小樽の妹の嫁ぎ先から札幌医大付属病院に通院する。
昭和29年(1954)
- 1月、札幌医大附属病院へ入院。
- 2月末、短歌研究社の新人五十首詠特選入選の電報を受ける。入選作が『短歌研究』四月号に掲載される。
- 7月、作品社より第一歌集『乳房喪失』が出版される。
- 8月3日、死去。享年31歳。
昭和30年(1955)
- 4月、作品社より『花の原型』(遺歌集)が出版される。