郷土資料

年譜

明治15(1882)年 1歳
  • 7月6日、福島県宇多郡中村(現福島県相馬市)に吉田恭重ゆきしげの四男として生まれる。
明治21(1888)年 7歳
  • 4月に、宇多郡中村高等尋常小学校尋常小学科第一年級入学。
明治25(1892)年 11歳
  • 4月に、中村高等小学校第一学年に入学。
明治28(1895)年 14歳
  • 5月1日から学校日誌を書き始める。以後、亡くなる直前まで日誌を書き続ける。
明治29(1896)年 15歳
  • 4月から、中村高等小学校補習科に入学。
明治31(1898)年 17歳
  • 2月に、父である吉田恭重が亡くなる。福島県第四中学校に入学。
  • 6月24日に、母と兄夫婦たちが北海道中川郡豊頃村の興復社へ移住。
明治36(1903)年 22歳
  • 10月~11月の間、福島県立相馬中学校の事務員として出勤。
明治37(1904)年 23歳
  • 2月に鹿島尋常高等小学校代用教員になる。
明治38(1905)年 24歳
  • 8月から1ヶ月程、北海道の興復社に滞在し、農場等を見学。
明治39(1906)年 25歳
  • 6月に小学校を依願解職。8月に興復社へ。
  • 9月から豊頃村役場に出勤。
  • 12月に初めて帯広に。河東郡音更尋常小学校代用教員となる。
明治40(1907)年 26歳
  • 4月から河東郡毛根尋常小学校に転任。
  • 8月に依願退職辞令が届く。
  • 9月に虻田に移り、社団法人北海道旧土人救育会虻田実業補習学校(以下虻田学園)の教員兼舎監となる。
明治44(1911)年 30歳
  • 1月、虻田第二尋常小学校の3ヶ月間の代用教員となる。
  • 4月虻田を辞し、沙流郡荷負尋常小学校の准訓導となる。
大正2(1913)年 32歳
  • 2月に荷負を辞し、転任地である豊頃村報徳教育所(大正4年に報徳尋常小学校と改称)に准訓導として着任。
大正3(1914)年 33歳
  • 報徳教育所の訓導兼校長となる。12月、依田勉三と初めて会う。
大正5(1916)年 35歳
  • 1月、河西郡第二伏古尋常小学校(後の北海道庁立日新尋常小学校)の訓導兼校長として着任する(任ぜられたのは、前年の12月31日付け)。
  • 3月、帯広町役場に婚姻届。テイと夫婦になる。
大正11(1922)年 41歳
  • 7月に、保導委員(後、方面委員から民生委員へ)となる。
昭和6(1931)年 50歳
  • 8月31日で、日新尋常小学校閉校。29年の教員生活を終える。
昭和25(1950)年 69歳
  • 9月1日、第1回帯広市文化賞を受賞。
昭和27(1952)年 71歳
  • 12月5日、北海道教育委員会から北海道文化賞を贈られる。
昭和38(1963)年 82歳
  • 6月4日、永眠。