郷土資料

吉田 巖について

吉田巌

吉田 巖は、明治15(1882)年に福島県宇多郡中村(現福島県相馬市)に吉田恭重ゆきしげ の四男として生まれ、相馬中学校を卒業後、郷里で教員となり明治39(1906)年兄の住む現豊頃町牛首別の興復社を頼って渡道しました。

アイヌ教育にあたるため、教職に就き、虻田実業補習学校、平取町荷負尋常小学校、庁立日新尋常小学校(昭和6年廃校)などで、長年にわたり子どもたちの学力の向上、生活環境の改善等に尽力されました。

それぞれの任地でアイヌの父兄や児童から、日常生活、言語、伝承等を聴き取りして学会に発表し、その一部は英語に翻訳されています。昭和6(1931)年日新尋常小学校退職後は、アイヌ研究に没頭し研究成果を上げられるとともに、多くの社会事業に貢献されました。

こうした功績に対し、昭和25(1950)年に第1回帯広市文化賞、昭和27(1952)には北海道文化賞を受賞されています。

帯広市では、吉田巖のアイヌ語・アイヌ文化の研究や社会・生活・風俗等の記録など稀有の文化遺産ともいわれる仕事を広く伝えるため、昭和30(1955)年から今日まで帯広叢書として刊行してきています。

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